店主コラムの記事

まだま村流庭づくり

2012年5月10日


~美しい環境に美しい精神が宿る~
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22年前、まだま村を開村した時の写真を見て改めてびっくり
しました。
様変わりも様変わり、竹林を切り開いたこともあって、
木らしい木は一本もなかったのですから・・・。
少し前はしだれ桜、山桜(国花)が満開でした。
今はつつじが美しく咲き

朴(ほう)の花が得も言われぬ芳香を放っています。

カフェ入口付近に立ち止まってぜひ甘露とも言える
香りを味わってください。
その他四季折々に咲く草木がにぎやかに建物を取り囲んで
おります。

今回はじめて22年間の庭創りの考えを娘に請われて披露
します。
基本は「美しい日本の心」であり、「オンリーワン」「手作り」
「ストーリーがヒストリー」、「未完成の美」「環境美」など
を頭に置いて自分では「芸術作品」を目指しております。
ひとつひとつの草木について話せば長くなりますから、
ざっと紹介してみたいと思います。三国連太郎氏お手植の
「月桂樹」(上の写真)、日本哲学者会議記念樹の「朴」、
三輪山からの「ナギ」(後に縁むすびの木と知りました)、
これも又縁むすびに関係のある「大王松」、朝日森林文化賞を
受賞された岡田さん(椿山)から開村記念にいただいた
「佐保の曙」、鳥が運んできて大木になり雷に打たれて折れた
「桐」、近所の方からわけていただいた「ろう梅」、鞍馬山から
はるばるやってきた「深山かたばみ」・・・・

すべて小さな苗木、苗から出発して22年間で今の姿になりました。
自分で植え、鳥にも手伝っていただき、思い入れが
強いだけに愛着もひとしおです。
又各々の草木が喜んでいるのを実感できます。
蜜を求めてウグイスをはじめ、もずや、めじろ、きつつきなど、
実にさまざまな鳥たちも飛んできます。
何気ないまだま村の庭ですが、建物と調和して自然の
シンフォニーを奏でていると自分では思っています。
お客様ノートにも書かれている
「安らぐ」「くつろぐ」「いやされる」「ほっとする」
などの感想も、もしかすると 庭のヒーリング効果も
関係しているかもしれません。
とにかく自然に脱帽です。
(By まだま村長)


ちなみにこれはただいま咲いている「しゃくやくの花」

まだま村村長より♪♪♪

2012年1月2日

まだま村の村長より新年のごあいさつです(^u^)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

新年あけましておめでとうございます。
皆々様、光輝く新年をお迎えのこことお喜び申し上げます。
さて、昨年は悪夢のような東日本大震災、さらには台風12、15号による大災害と、
災難続きの1年でした。
反対に、今年は昇龍にあやかって、あらゆる面で天にも登るような大飛躍の年にしたいものですね。

おかげさまで、まだま村は今年で22年目(カフェとしては16年目)を迎えます。
これもひとえにお客様のごひいきの賜物と感謝しております。
今振り返りますと、ここまでこれましたのも、流行の時代にあって、
ひたすら不易なもの(変えてはならないもの)として
「美しい日本の心」を守ってきたからではないかと改めて強く感じる次第です。
今後もお客様の声を謙虚に受け止めながら、よりご満足いただけるよう努力した
い考えでおります。

「お客様ノート」も29冊目になりました。
ノートに書き込まれたお客様の率直な意見や感想を読み返しますと、感慨無量のものがございます。
厳しいご批判をいただくこともありますが、おおむね異口同音に「くつろぐ、やすらぐ、ほっとする、いやされる、おいしい」と書かれている点は、素直に受け止めさせていただき、心をゆるめることなく、今後とも皆様の「心のふるさと」としてのまだま村をより充実させていきたいと思います。

ささやかですが、「小さな商い大きな喜び」という商いの原点を実験させていただいております。勘定の際、「おいしかったです。ありがとうございます」と言っていただけるのは、何よりも励みとなります。そこには食べ物と金の交換だけではない尊い世界が実現しているように思われます。何かとせちがらい世の中ですが、今後もふんわりと温かくぬくもりのある交流を忘れないようにしていきたい所存です。

ノートの中に「まだまする」という新造語がありました。
それ位親しまれ愛される「まだま村」となれますよう、
今後ともスタッフ一同努力精進したい考えでおります。
どうかこれからもさらにまだま村をご愛顧いただけますよう、
切にお願い申しあげます。

まだま村代表
立花 之則

PS:村長の新春講話を予定しております。

新春講話
日時 平成24年1月28日(土)PM4:00~
場所 東大寺ミュージアム(奈良市水門町100番地)
TEL 0742-20-5511
<内容>
●東大寺ミュージアム見学及び話
●新春講話「言霊力」(立花之則)

大木のはなし

2011年6月6日

まだま村にある、杉の大株の話です。 高さは2.5メートル、株回りは私の腕で優に二抱えはあります。今はまるで元々あったかのように鎮座しており、頭の空洞から竹の枝が出て髪が生えた長老のように見えます。親しくしている村の材木屋さんの空き地にある時、その株がゴロンと横になっていました。「これだ!」と直感し、すぐ材木屋さんに話をしました。
約四百年経ったこの杉は線路上の断崖の上に線路にかぶさるように立っていたそうですが、大風か何かで線路上に落ちては危険ということで、切られることになったそうです。断崖にへばりついて四百年。それが今の姿です。そう思って眺めると線路上にあった時の雄姿が目に浮かんできます。普通なら使い道がありませんから切って捨てられるか、燃やされるところです。命びろいをしただけでなく、まだま村の看板杉になれたのですからきっと喜んでいるとことでしょう。

石は意思を持つ/樹は気を持つ/あなたは何を持つか

という坂村真民先生の詩があります。実際何かふしぎな気を発していますし、手を触れると「ありがとう」という波動が伝わってくるようです。四百年の株ですから風雷さらされ少しずつ風化しながら、少なくとも四百年はまだま村のある限り立ち続けるでしょう。「念ずれば花ひらく」碑、横の桜の古木も同じ材木屋さんに運んでもらいました。これも四百年経っています。長い間倒れたままで森の中に横たわっていましたから、かなり表面は朽ち果てていますが、年輪、風格という点では杉の大株に引け取りません。

桜の株には目がついており、クジラかイルカのようにも見えます。一度ゆっくり見てください。
(まだま村 店主)

まだま村のカンバン

2011年5月6日


「お店のカンバンなんとかしてくださいよ〜!もっと大きく目立つものにされてはどうですか。お客さんも増えますよ。」
1人や2人ではなく、何人ものお客様からクレームとしてのお叱りの言葉をいただいております。
「迷いに迷ってとうとう日が暮れてしまい家に帰りました。」「もしよろしかったら私にカンバンを作らせてください」
しかし頑としてそれに応じないのですから「クレームには最優先で対処し改善する」というサービス業の常識からは完全に外れています。
お客様のお気持ちは重々わかっています。町とちがって山の中ですから迷って不親切なカンバンに腹が立つこともあるでしょう。申し訳ないと思いながらも、今のカンバンはあえて変えないつもりです。
なぜなら、「目立たない」ということが、自然と同化し、調和していると考えているからです。

大きなカンバン、原色の派手なカンバンが町中、さらには郊外や行楽地の自然の中にまで氾濫しています。日頃からそれらのカンバンが環境美を壊していると強く感じているのです。
ドイツ、フランス、スイスへ出かけましたが日本のようなとんでもないカンバンの乱立はどこにも見当たりませんでした。「美しい環境に美しい精神が宿る」これは美しい日本の心、まだま村のポリシーです。

「たかがカンバンされどカンバン」

実はこのカンバンのヒントはまだま村周辺の自然歩道に立っている道しるべです。市が建てたものですが、丸太に小さな字で道先案内が書かれているだけの素朴なものです。車で走っていると絶対読めません。自然歩道ですから、歩く人に合わせて作られています。それが、計らずも自然にぴったりあっているのです。大きなカンバン、派手なカンバンというのは車社会に合わせて作られたものでしょう。車のスピードから歩くスピードへ。車でもゆっくり走っていただければ、小さいですが、まだま村のカンバンにも気づいていただけるものと思います。勝手をお許しください。
(まだま村 店主)

聖地千提寺

2011年3月6日

私の書斎にはキリシタン資料館の元館長の東氏からいただいた「聖地千提寺」の色紙があります。それをいただいてからしばらくして急に東氏がお亡くなりになられたこともあり、私には氏の形見としか思えません。同時に私にわざわざ説明もなく手渡して下さったことには大切な意味があると受け止めています。
昔から千提寺は隠れキリシタンの里として、村の人たちは聖地であることを当たり前に思っていたようです。今ではそれを口にする人はいませんが、聖地・霊地であることに変わりはありません。別の言い方をすれば「いやしろ地」であり「心のふるさと」です。だからでしょうか、まだま村には赤ちゃんからお年寄りまでとにかく色々な人が訪れますが、何の違和感もなく、見事に調和がとれています。正に「和楽」の言葉通り一つに溶け込ませる力を土地そのものが持っているのです。

「いつきてもすがすがしい気持ちになれます。」とお客さんが言うのも、聖地の霊力と言えるでしょう。お客様ノートに書かれている言葉「落ち着く」「安らぐ」「くつろぐ」「癒される」「ほっこりできる」などなどもすべてそれに関係していると思います。店のオーナーや芸術家の方々の来訪も多いですが、宗教関係、スピリチュアル関係の人々も結構訪れます。聞くところによると、マニアックな人たちにとっては、「まだま村」はアヤシイということで興味津々らしいです。何かしらふしぎな気を感じるというのです。しかし、何もアヤシイことはありません。答えは簡単です。

ここ千提寺は聖地、霊地であり「いやしろ地」「こころのふるさと」であるからです。これは私が勝手に名付けたり思い込んだりしているのではありません。昔からそうであり、今もそうであるということをお伝えしておきます。文明の利器である携帯電話がここでは通じないというのも、何か守られている感じがしてなりません。おそらくケータイがつながらない喫茶店は日本中で「まだま村」だけかもしれませんね。
(まだま村 店主)

念ずれば花ひらく

2011年2月6日


まだま村の入り口に「念ずれば花ひらく」と書かれた大きな碑が建っています。しげしげ眺める人、つぶやく人、手を合わせる人、さまざまです。

私自身は毎朝、碑に額をつけて念じております。額と唇のところが黒々と跡がついており、雨が降っても消えません。ひとりでも多くの方に「念ずれば花ひらく」ことを知っていただきたいと念願しております。「念ずれば花ひらく」は私が尊敬する詩人の坂村真民先生の魂とも言える詩です。
 
念ずれば 花ひらく
苦しい時
母がいつも口にしていた
このことばを
私もいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたびに
わたしの花がふしぎと
ひとつ ひとつ
ひらいていった

心に花を咲かせる、自分の花を咲かせる、それが人生ではないでしょうか。
「まだま村」も正に「念ずれば花ひらく」の証です。石そのものは、聖地、霊地、千提寺の山の上から出たもので、私を呼び私を待っていたとしか思えません。発願して十年。その岩はごろんと横になっており、一万人以上の方々に思いを込めてノミ入れをしていただきました。ただ、建立するには費用もかかるのでそのまま横たえておこうかと冗談に言ったりしておりました。

しかし21世紀目前、2千年2月22日に大阪石材さんとNさんの資金的協力のおかげで真民先生をお迎えし、百名以上の方々に臨席していただいて盛大な建立除幕式をさせていただきました。真民先生からはこんなありがたい言葉をいただきました。

『一万人の人が心を込めてノミを入れた碑です。こんな碑は地域のどこにもないでしょう。』
『聖域だからでしょう。一万人の人が来てくださって、心をこめてノミの跡を残してくださったのがよくわかり、そのパワーが伝わってくるのです。千年建ち続く碑だと思いました。千提寺という土地名もこの碑にふさわしいとしみじみ思い、所縁のありがたさをしみじみと感じ、長生きさせていただいたことを心から感謝しました。』

こちらこそ感謝させていただいております。現在、「念ずれば花ひらく」碑は全世界に6百以上あります。まだま村の碑は532番碑です。先生からありがたい祝歌をいただきました。

「いつ見(532)に来ても、パワーをいただく碑のありがたさ」

どうか、みなさん碑に手を触れ、パワーをもらってください。
(まだま村 店主)

環境美即心境美

2011年1月6日

「日本の心」は美しい日本の風土に育まれたものです。もう一度「白砂青松」の風景を取り戻すことはできないのでしょうか。
私はお客様の「素晴らしいところですね」という誉め言葉には「自然がごちそうですから」と答えるようにしています。実際周りの自然のお陰でまだま村(茶房)そのものが一層引き立っています。
こうなるまで10年以上かかりました。ほとんどすべて手植えの草木です。井戸の横の佐保の曙(椿山より)という椿にはつくづく感心します。もらってきた時は50センチくらいでした。途中うっかり足が当たってしまい折れて、皮一枚でつながっている状態をガムテープで補強したものです。
その後はそれまで以上に心をこめて毎日水をやりました。愛情に応えてくれたとしか思えません。今ではうっそうと繁り、葉がキラキラ光り、まるでまだま村のまもり神のようです。井戸の回りにはこの他にもたくさん椿を植えています。いずれも30センチくらいのものばかりを植えたのですが各々大きくなっています。椿の根は井戸水の浄化に大いに役立つからです。トイレ横のキンモクセイ、馥郁たる香りを放つろう梅、黒竹、さんしゅゆ、ざくろ、木蓮、梅、水木、しだれ桜、アプローチで一列に植えている樫、つつじ、昨年初めて花をつけた藤ヅル、遠くからも香る沈丁花、山から引いてきた山桜ともみじ、俳優の三國連太郎さんに手植えしていただいた月桂樹、誠実なる友情を表す朴の木、鳥の大好物の大粒の赤い実のなるグミ、山いちご。

当然のことながら、花と実を求めて色々な鳥が飛んできます。鳥が運んできたものでは南天、山椒、杉、万両、大木になって今は紫の花を落している桐(いずれ桐のタンスをつくる予定)。地主さんの植えたヒノキ、自生していた茶の木。実に多種多様で愛着があり物語があります。今気にかけているのは「念ずれば花ひらく」碑の横の2本のもみじと椿の苗木。いずれも約50センチ。私の人生の師、岡田さんの形見です。毎朝声を掛けて立派に育つことを願っています。
良樹細根。「大きくなれ、大きくなれ」

最初はどの木も早く大きくなって欲しい一心でした。ところがそう易々とは大きくはなりません。最初の4、5年は根を張ることに専念しているのですね。根が張るとあとは一気。

みるみるうちに大木になります。

(まだま村 店主)